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【特集】「イノベーション・ツールブック」の開発 城南支部 成長産業分野研究会

1.ツール開発の経緯

当研究会は、環境・エネルギー、医療・福祉、防災、コンテンツなどの成長分野について産業動向の研究、行政による支援制度の理解、具体的な企業支援などを目的に研究会活動を行っている。当研究会は月例会形式で運営しているが、特徴として当番による個別テーマの発表は行わず、2件程度の継続研究テーマを決め、並行して中長期的な研究を進めている。
イノベーション・マネジメントについては、研究会メンバーの一人が大学院MOTコースで学んだ際、ISOがイノベーション・マネジメントの国際規格56002を制定したとの情報を得たことをきっかけに、「日本の中小企業にとってのイノベーション取り組み強化の支援」を継続テーマに選び、断続的ながら3年以上にわたり研究を続けている。当研究会はこれまで以下の順序で研究を進めてきた。本稿は、当面の目途がたった③ツール開発について論文発表の形で取りまとめたものである。以下の④と⑤にはまだ時間がかかると考えている。

図表1 成長産業分野研究会のイノベーション・マネジメントについての研究履歴

①    イノベーション・マネジメントについての基本理論の研究
②    中小企業白書に掲載された企業を使った基本理論のあてはめ(机上事例研究)
③    イノベーション・ツールの開発(本件)
④    個別企業へのヒヤリング、実証実験(実施途中、現在はバックテスト段階)
⑤    シミュレーション・シナリオの開発(当研究会の次期研究テーマ。中小企業のイノベーションの実例から共通項目を洗い出し、支援先企業でのイノベーション実現の可能性や制約要因の予想につなげようという試み、現在はラフスケッチの段階)

2.開発ツールの基本概念

当研究会が開発した「イノベーション・ツールブック」は以下の2文書をスタート台として、中小企業向けに応用する試みである。
これら2つの基本概念は、イノベーションを継続的に行う仕組みとして大変に優れた先行研究である。しかし、大企業を念頭に書かれているため、内容がやや難解なものになっている。中小企業の経営者にとっては、腹落ちしたものとして具体的に取り組むにはハードルが高いものと思われる。その対応策として当研究会では、取り組み内容の具体的な定義や実際の取り組み継続において、中小企業の経営者を支援するツールを開発することとした。

図表2 当研究会が研究の下敷きとして依拠したテキスト

①    ISO56000シリーズ:ISOが定めた企業に対してイノベーションの実現を促すための国際標準規格    https://www.iso.org/home.html
②    「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針」:ならびに経済産業省とイノベーション100委員会が公表した日本企業のための行動指針(以下「行動指針」)
https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kodoshishin/pdf/20191004003-1.pdf

3.開発ツールの構成

当研究会の「イノベーション・ツールブック」はPart1「イノベーション問診票」、Part2「種蒔き編」、Part3「水遣り編」、Part4「経営セーフガード」の4部構成としている。
Part1「イノベーション問診票」で経営者に会社の現状とイノベーションへの考え方を整理・認識してもらう。問診票の入り口部分は簡潔な1枚紙とし、企業の沿革や、経営者が現状感じている問題点、イノベーションへの関心などについて、経営者と支援者のヒヤリングの中で記入を進めていく。その後、より詳細な分析・まとめは、官庁や支援機関が公表している「ローカルベンチマーク」、「経営デザインシート」など、定番のツールをそのまま使って補足していく。
Part2「種蒔き編」はイノベーションへの取り組みの数を増やし、それを継続する(野球で言えば打席数を増やす)ことを目指している。ここで使用するものも、「オズボーンのチェックリスト」、「SCAMPER法」など、発想法として定評があるものを下敷きにしている。
Part3「水遣り編」では各々の取り組みから成果を生み出す確率を高めること(同、打率を上げる)を扱っている。 Part2とPart3の両編を合わせてイノベーション成果を増やす(ヒットの本数を増やす)ことを目指すものである。
Part4ではイノベーションへの取り組みがかえって企業の存続を脅かすことがないようにガードレールを提供する。企業存続を危うくするほどのリスクテイクに対しては、支援者として客観的な見地から経営者に諫言していく(いさめる)必要があるとの考えに基づいている。 諫言内容については、「イノベーション・べからず集」という形にまとめており、現在は10か条である。
本稿では紙数の都合からPart1、2、4についての例示は一旦省略し、当研究会で独自性が高いと自己評価しているPart3について、次項に記載する。

4.本ツールの独自性

前項のPart3「水遣り編」はイノベーションの芽が成果を出すまでに育つようにする仕組みである。イノベーションという言葉の響きからは緻密な戦略や大英断に基づき取り組むものという印象を与える場合があるが、その他にも企業の普段の活動のなかで無数のイノベーションの芽を持ちながら、結実に至らず途中で消えてしまっているものがあると当研究会では見ている。イノベーションの成功確率を高めるのはどうすればよいかを検討し、事故・災害研究や失敗学で使われている「ハインリッヒの法則」と「スイスチーズ理論」を応用できないかと考えた。
ハインリッヒの法則では1件の重大事故の周りに29件の小さな事故があり、さらに300の事故には至らなかったヒヤリ事例があるとしている。また「スイスチーズ理論」では、事故原因が実際の事故につながるまでには、多数の事故防止・事故回避障壁(チーズの壁)があるものの、重なったチーズの穴を通り抜けるように、防止・回避障壁が機能しなかったときに重大事故が起きるとして、チーズの穴が重ならないような仕組みが事故防止に有効であるとしている。 当研究会では、事故とイノベーションを置き換え、チーズ(イノベーション阻害要因)の穴を重ねること、穴を大きくすることでイノベーションの芽から結実する確率が高まると考えた。

図表4―1 ハインリッヒの法則とスイスチーズ理論

1件の顕在事例の下に多数の潜在事例

チーズの穴を全て通過すると顕在化が起きる

イノベーションの阻害要因と、その克服策を検討する際に、当研究会が頻繁に参照した「行動指針」(第2項参照)の12の行動指針を6つの切り口(※)に分類し、「6つの切り口」⇒「12の行動指針」⇒「阻害要因」⇒「阻害要因対策」⇒「サブツール」の順に一表にまとめた。以下のまとめ表が「イノベーション・ツールブック」Part3水遣り編の主要部分であり、当研究会自身で独自性が高いと考えているものである。(※経営資源として、ヒト、カネ、情報の3個、経営方法として、スピード、ネットワーク、決断力の3個)

図表4-2 行動指針から阻害要因対策のためのサブツールまで

5.期待される効果

「イノベーション・ツールブック」を活用して、中小企業の経営者と支援者である中小企業診断士が対話し、資料を作成し、意識の共有を図ることにより以下のような効果が期待できる。
 ① イノベーションを実現するために具体的に取り組む内容を自分の言葉で定義することができる
 ② 実現可能性や実現までの障害を経営者が理解することができる
 ③ 取り組み開始後の中間評価や軌道修正を行うことができる
 ④ 個々の取り組みによるイノベーションの成功・失敗結果がはっきりした後の事後評価、教訓化を行うことができる
なお、上記4点の主語はいずれもイノベーションに取り組む中小企業の経営者である。
また、副次的な効果として、Part1「問診票」を進めるなかで、経営者がイノベーションへの取り組みよりも、事業承継や事業再生への関心が高いとわかった場合は、それらの分野でも経営者と中小企業診断士との議論の土台となることが期待できる。「問診票」では当研究会の純粋なオリジナル素材は入り口部分などにとどめ、詳細なパーツは「経営デザインシート」や「ローカルベンチマークシート」など、官庁、支援機関のフォーマットをなるべく取り入れるようにしている。このため、経営者と支援者の検討の方向が事業承継や事業再生に向かった場合にも、二重の手間を省き、それまでの作業を有効に活用することができる。

6.今後の予定

現在、実際の企業とは実証実験を行っている段階であり、2~3年かけて「イノベーション・ツールブック」を使ってもらい、利用上の困難や改善点の発見を行い、改良を行う予定である。
まず、2社に対して「イノベーション・ツールブック」を見てもらい、詳細なヒヤリングを行った。
①事業継承と業態転換を実施した企業「伊勢友サプライ株式会社」(子息への承継、卸売業⇒不動産賃貸業)
②サービスの提供方法を転換した飲食店「株式会社マイフローレス」(店舗名称「こちる cochill juice」 URL https://cochill.myflawless.co.jp (移動式飲食店=キッチンカー⇒固定飲食店)
これらの2社はヒヤリング前に事業転換を行っているため、伴走的な支援とは言えず、ツールの有効性・問題点のバックテストにとどまった。ただし、両社ともに「イノベーション・ツールブック」のなかの一部のサブツールに強い関心を示し、問題点の指摘や改善のヒントなども得ることができた。
事業承継を行った企業(上記①)は業歴が長く、業歴のなかで大きな収益拡大や収益縮小も経験しているので、「時間差PPM」(後述)への関心が高かった。
店舗形式を変更した飲食店(上記②)は、近年の新型コロナ感染症流行の影響を強く受けたため、「ヒストリカルSWOT」(後述)への関心が高かった。
現時点ではイノベーション取り組みへの本格的な着手には至っていないが、今後取り組んでいきたい分野の提示と初期的な支援依頼をいただいたところである。
現在、これらに続いて、複数の企業に対して、「イノベーション・ツールブック」を使った議論を開始しているが、これらのうち何社と継続的な議論ができるか、また何らかの成果や反省点が見えてくるまでに、どの程度の時間がかかるのかは、まだ見極めがついていない現状である。
実際の支援先企業に対して、イノベーション実現のための同時並行的な実証実験が進む場合には、本ツールである「イノベーション・ツールブック」のブラッシュアップのほか、当研究会の次期開発テーマである「イノベーション・シミュレーション」(中小企業のイノベーションの実例から共通項目を洗い出し、支援先企業でのイノベーション実現の可能性や制約要因の予想につなげようという試み、現時点ではラフスケッチの段階)の開発を加速化する予定である。

図表6-1 バックテストに協力いただいた会社との継続支援の可能性

「人的資源の制約が少ない、無店舗販売にも取り組みたい」と語る「こちるcochill juice」宗オーナー
「事業承継には一段落ついたので、キャリアの仕上げとして地域おこし的NPOに取り組みたい」と語る伊勢友サプライ坂本社長

以上

<補論> 「イノベーション・ツールブック」中のサブツール(第4項参照)の一部紹介

「イノベーション・ツールブック」には、経営者が具体的な取り組み時に使用してもらうため、当研究会が検討・作成したいくつかのサブツールを組み込んでいる。これらは「行動指針」のなかの「何を目指すのか」、「なぜ取り組むのか」、「誰が取り組むのか」などに対応し、取り組みの阻害要因や克服策を検討するためのものである。
これらのサブツールの一部を以下に紹介する。 

①「ヒストリカルSWOT」
未来予想を含む複数時点でSWOT分析を行なうもの。 経営者・後継者の年齢も検討材料に加えている。現在の会社は、外部環境の変化にどのように対応してきたか、また今後どのように対応していくか、そのための自社の強みや弱みは何かを経営者に考えてもらう。あわせてこれまでに特に意識することなく取り組んできたイノベーション・ネタの有無なども洗い出していく。

図表補―1 ヒストリカルSWOT

②「時間差PPM」
ボストンコンサルティング式のプロダクト・ポートフォリオ分析に時間の概念を加えたもの。同時期に複数のプロダクトをポートフォリオとして抱えることができる大企業と異なり、中小企業では同時期に並行して取り扱うことができるプロダクト数は限定的と思われる。現在の主力業務の衰退過程と新たな主力業務の成長過程に時間差が生じ、一定期間主力業務がなくなってしまうことが考えられる。この場合でも、保有しているカネやヒトといった経営資源が時間差ギャップに耐えられるかどうかを検討する。以下の例では、花形(スター)が金のなる木(キャッシュカウ)になり、その後金のなる木としての寿命も末期を迎えている。一方で、問題児(クエスチョン)がまだ花形になりきっていない状態を示している。その時点での資金力や経営者年齢をチェックする。

図表補―2 時間差PPM

③「イノベーション・キャストシート」
人的資源に制約のある中小企業で、既存事業と新規事業にどのようにヒトを振り分け、また各人のモチベーションを高めていくかを考えるためのもの。テレビドラマやアニメを題材に経営者と議論し、全体で7~8人程度の登場人物を自社に当てはめることにより、チーム構成を考えてもらい、ヒトの配置を考えていく。複数の比較例を用意し、経営者の年代に合わせて感情移入を促し、臨場感を持った議論をしていく。現在、当研究会では50~70代の経営者を念頭に置いて、「七人の侍」、「宇宙戦艦ヤマト」、「太陽にほえろ」を例として使っている。より若い経営者と話す場合には、「スラムダンク」や「エヴァンゲリオン」などを引用して作り直す必要がある。

(補論終わり)

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