「中小企業におけるAI導入/DX推進支援ハンドブック」の作成
令和5年度 中小企業経営診断シンポジウム 第2部第3分科会
「中小企業におけるAI導入/DX推進支援ハンドブック」の作成
中央支部 AI・人工知能研究会
黒須 靖史
■1■ 本ハンドブック作成の背景
1)研究会の活動概要
当研究会は、中小企業に対するAI導入/活用支援の知見を深めることを目的とし、2018年に発足された。定例会では、主にインプットを目的とし、AI導入に関連する会員研究発表、AI系開発事業者/AI導入企業/AI専門家などによる具体的な事例紹介を行っている。分科会では、主にアウトプットを目的とし、AI技術のウォッチ、AI導入事例研究、プログラミング講座、AI実装研究などを行っている。
知見の偏りを防ぐため、経済産業省のDX人材育成事業である「マナビDX(旧AI-Quest)や、日本ディープラーニング協会のG検定合格者のフォーラム(CDLE)にも参加し、広くAIに関する情報収集を行っている。また、東京弁護士会のリーガルサービスジョイントセンターに設置されているAI部会とも連携し、法律面からのウォッチも行っている。ちなみに、国内の弁護士会でAI専門の部会はここだけである。
2)ハンドブック作成の背景
経済産業省の定義を引用すると、DXとは、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」である。DX推進において、さまざまなIT技術が用いられるが、なかでもAI技術の発展/普及は目覚ましいものがあり、AIの利用は外すことができない。
近年、さまざまなAIツールが登場してきているが、ITに詳しくとも、AIをどのように実装※1するかの知見を有している中小企業診断士は少ない。
また、当研究会の会員は、コンサルティングファーム、システム開発事業者、デバイスメーカー、ユーザー企業、独立コンサルタントなど、それぞれの立場でAI導入/DX推進の業務に携わっており、経験と知識を有しているが、それぞれのノウハウの幅や深度に違いがあることや、中小企業のAI導入/DX推進支援業務についての体系的/具体的な指南書が存在しない。これらのことから、中小企業診断士(以下、支援者)が実務で利用できるハンドブックの必要性を感じ、プロジェクトとして作成に取り組むこととなった。
※1:本来「実装」と「デプロイ」は異なるが、本稿では両方を合わせて「実装」とする。
■2■ 本ハンドブックの特徴と構成
1)特徴
本ハンドブックは、次のポリシーのもとに作成されている。
①支援先企業にノウハウが残ること
AI導入/DX推進は一時的なことではなく、継続性をもって実施されるべきものである。したがって、最終的には支援先企業が自力で取り組めることが重要と考える。支援者は、その状態に至るまでのサポートをする役目であり、その位置づけでの支援業務が行える内容であること。
②既存の資料類も活用すること
経済産業省の「AI導入ガイドブック」など、公的機関が公開している有用な資料が多数ある。それらも活用することで、実務書としての有用性を高める。
③戦略との関連を重視すること
AI導入/DX推進は、多くの業務に適用可能であるが、重要なのは経営戦略や事業戦略を遂行する上での方策の一つとすることであり、企業としての全体最適を目指すことで、大きな意義が生まれる。とくに、戦略上、これまでコストや技術の問題などからできなかったことが、AIやITを用いて実現し、変革への道筋を定めることを重視する。
これらのことから、本ハンドブックは次のような特徴を備えている。
▼支援先に提供できるフレームワークやワークシートを多く用意し、経営者やAI導入/DX推進担当者(以下、推進担当者)が自らそれを埋めていくことで、自然とノウハウが蓄積される。
▼「支援者がどこまで手を差しだすべきか」を各自の経験に基づき整理し、支援先が自走できるようになるために必要な教育内容やアプローチ方法を示している。
2)利用の前提としている支援先事業者および支援者
本ハンドブックは、次の前提において作成した
≪支援先事業者の前提≫
情報システム部などの専門部門を有さない中小製造業。なお、AI/DXの適合業種/分野は幅広いが、内容の具体性を高めるため、今回は、手始めとして製造業における不良品検査(外観検査)を対象とした。
≪支援者の前提≫
本ハンドブックは、支援方法に主眼を置いて作成したため、AIやITの技術的な内容に関する解説は省いている。したがって、次の要件を有する中小企業診断士を前提とした。
・AIやITの基礎的な知識があること(開発業者等と打ち合わせができるレベル)
・システム構築の経験があること(企画,開発,導入支援 など),
・中小製造業の経営全般の支援経験があること
3)作成の手順と構成
作成にあたっては、まず支援ステップを整理し、各ステップでの骨子をメンバー間で討議し、統一性/整合性を整えたうえで着手した。その後、整理された支援ステップ(図表1)に基づき、各章を構成した。
■3■ 各章の概要
AI導入はDX推進の一つの手段であるので、本来的にはDX化全体の流れを含めたハンドブックであるべきだが、初版ではAI導入の支援ノウハウを整備することに重点を置いた。
【第1章】 中小企業へのAI導入/DX推進の啓発
中小企業経営者が中小企業診断士に経営の相談をする場合、必ずしも「AIを使ってみたい」「DXに取り組みたい」という意欲的な内容ばかりではない。また、AIやDXという言葉が先行し、「何かができそう」という希望的なイメージはあるものの、実際のところはよくわかっていないというケースも多い。AI/DXに前向きな経営者であっても、中長期的な経営課題や、発生している問題の本質が明確にされていないまま、技術を導入することにばかり意識が向いている可能性もある。
そこで、まずは経営支援のセオリー通り、経営ビジョンの明確化から着手する。この段階では、まだAIなどの技術面は表に出さず、どのような市場ポジションを取りたいか、なにを強みとする会社になるのか、社員はどのように働いているか、など「ありたい姿」を明らかにしていく。
次に、SWOT分析やPESTEL分析などを行い、どのような戦略やアクションが必要なのか具体化する。ここで、ITやAIによって実現できそうなこと、今までにないビジネスモデルが組み立てられそうなことを探してみる。実際に実現可能な技術だけでなく、「こういうことができるのかも」というレベル感のものも含めておく。
このとき、それらが「業務の効率化や高品質化」という改善レベルなのか、「競争優位性が強まる」という戦略レベルなのかを切り分けも併せて行う。
このように、経営ビジョン→戦略策定という流れを整えることで、経営者がAIやDXの必要性/効果性を無理なく、かつ錯誤なく認識できるようにする。
【第2章】 AI導入のロードマップ策定支援
基本的には通常の経営戦略のロードマップ策定の手順である。ワークシート(図表2)を用いて、経営者が主体的に策定し、支援者はそれをサポートするアプローチをとる。とくにAIの導入については、経営者が十分な知識を有していないことも多いため、スケジュール感や費用感をイメージしにくい。そのため、次のような事項についての情報提供を行い、必要な経営資源の準備/配分ができるようにする。
・推進体制、・費用感、・業務量、・トラブル、・PoC(実現性検証)※2の期間 など
ロードマップを基に、経営者/推進担当者/現場リーダーが中心となってワークシートを用いて、戦略ごとにAI/DXに取り組む対象と範囲(スコープ)を定める。まずは、経営ビジョンの第一段階(たとえば3年後)について行う。議論がスムーズになされるように、支援者が次のような点に留意し、ファシリテートや情報提供を行う。
・経営ビジョンや戦略を踏まえた議論になるようにする
・技術的に必要な要件を十分に説明し参加者が理解したうえで議論できるようにする
・否定的な意見がでても、それを受け止めたうえで、可能性を探る方向に導く。
※2:PoCとはProof of Conceptの略で、「概念検証」と呼ばれることが多い。ただ、支援先にはピンとこない言葉なので、本ガイドブックにおいては「実現性検証」と説明している。
【第3章】PoCができるための事前教育
AI導入が一般的なシステム導入と大きく違うのは、「やってみなければ使い物になるかどうかわからない」ということである。したがって、本格的導入の前に、AIによって目的が達成できる可能性を検証する作業が必要で、これがPoCである。
PoCは研究室での実験に似ており、多くのデータを準備し、さまざまな方法(AIモデルや物理的条件の組み合わせなど)を用いて、繰り返し取り組むことになる。そのため、多大な時間を要し、その分の人件費コストも大きくなりがちである。また、PoCの結果として、「所期の目的を達成できない」という判断となり、まったく別の方法を考え直さなければならないこともある。
また、実装後も、改めてPoCを行う必要もあるので、支援先が継続的にAIを活用できるようにするために、社内でPoC実施が可能となるための情報やノウハウを整理している。
理想としては、推進担当者がプログラミングしたり、システム全体を構築したりできるとよいのだが、人的資源が限られる中小企業においてそれは現実的ではないため、システム構築業者と協議ができる程度を目指している。
本ガイドブックでは、その目的から教育テキスト的な内容は割愛し、推進担当者における学び方や学習のポイントなどの指導方法を提示するにとどめている。
知識面の教育方法のほかに、次のことも提示している。
≪現場の協力獲得≫
PoCに必要なデータの整備については、現場の協力を得る必要がある。社内の推進担当者が主体的に活動することで、協力を得やすく、実運用に向けての意識合わせもできる。したがって、支援者は裏方に回ってサポートするスタイルを提示している。
≪経営者による支援促進≫
経営者に対し、勉強に必要なPCの準備や、学習時間の創出などについての理解と協力を得るポイントについて取り上げている。
【第4章】 PoCの実践支援
このフェーズから、実際にAIをいじってみる段階となる。支援先にとっては初めての経験であり、戸惑うことが多い。それゆえ、支援者としては丁寧なサポートを心がける。
中小企業でのPoCにおけるハードルには次のようなものがあり、これらを乗り越えるにあたって、支援者としての役割とアクションを解説している。
<検証に使うデータの準備>
本来であれば数年間の実データを用いるのであるが、そもそもデータが十分に蓄積されていないことが多く、AIの学習に利用できるだけのデータ量の確保と検証に適した質の整備に工夫と時間を要する。
<AIモデルの選定とチューニング>
数多くあるモデルから候補を抽出し、チューニングしながら実際に使用できそうなモデルを絞り込むのだが、精度はモデル自体の良し悪しだけでなく、検証用データの量/質にもよるところが多く、見極めるのが難しい。
<プログラミングや環境構築>
PoCを行うには、AIモデルを駆動するプログラミングや環境構築が不可欠であるが、推進担当者にそれを期待するには無理がある。そのため、支援者が行うか開発業者に依頼をすることとなる。
<作業時間の確保>
PoCは相当な時間を要するうえ、いつ終わるのかも予測しにくい。多くの場合、推進担当者は他業務との兼任であり、総労働時間との関係もあり、十分な作業時間を確保するのが難しい。また、製造現場での検証が必要ともなるので、生産計画や納期に影響を及ぼさないように調整する必要もある。
<DXとの関連性維持>
AI方面にばかり注力しているうちに、DXとの関連がおざなりになりかねない。またPoCに時間をとられることで、DXの推進全体が遅れてしまう可能性がある。
<予算確保>
AIモデルはほぼ無料、光学カメラなど設備も安価に準備することができるが、開発費や社内人件費などの費用が大きくかかる。
【第5章】 AI実装/本番運用支援
PoCの終盤とAIの実装はフェーズとして重複することになるので、社内で正式に運用開始として区切るようにする。具体的には、製造工程、製造指示書、検査手順書などを特定の日から切り替えることとなる。
スムーズな運用開始に必要な準備、たとえば運用に必要な各種ドキュメントの整備、社内周知方法、トラブル発生時の対応体制構築などについて解説している。スケジュール管理が重要な作業でもあり、ガントチャートやWBSなどを用いて進捗状況や進行遅れの影響/対策などを推進担当者とともに検討できるようにしている。
本番運用は、初期のトラブル(長時間稼働による装置の不具合、精度の不安定、工程の混乱など)を乗り越えるまでは、推進担当者の作業負荷が非常に大きくなり、心理的にもつらくなる。場合によっては退職に至ってしまうこともあるので、非常に注意が必要な時期だ。それを踏まえ、支援者として経営者の協力を得ながらどのようなサポートが望ましいかを解説する。
とくに、「出口の見えないトンネル」の状態が続くことは好ましくないので、QC7つ道具など、製造業になじみのあるツールを用いて、解決の見通しが立てられるようにしている。
【第6章】 チューニング支援
実装後の初期トラブルが収まれば運用そのものは安定するが、AIが担っている部分はその後も変化を続ける。これも一般的な情報システムと異なる点である。たとえば、稼働環境の変化や不良データの蓄積などにより、急に精度が低くなったり処理が遅くなったりすることがある。
そのような状態になった場合は、AIのチューニングが必要となり、PoCと似た作業を行うことになる。チェックシートを用いて、チューニングが必要な状態かどうかを定量的に判断し、推進担当者が適切にチューニング作業開始のタイミングを決められるようにしている。
また、チューニングのノウハウが社内に蓄積されるために、支援者がどのように関わっていくことが望ましいかも解説している。
【第7章】 非コーディング型ツールの解説
AI導入において、非コーディング型のAI開発ツールは大変便利で、AI開発やプログラミングの経験がなくとも、ある程度のものを構築することができる。ただ、さまざまなツールが次々と登場しており、本ハンドブックにおいて具体的なものを紹介するのは適切でないと考え、カテゴリー別の解説や、どのようにしてツールを見つけるとよいかなどの解説にとどめている。
また、支援者でも推進担当者でもITリテラシーの差があるので、リテラシーチェックリストを用いて、その差を明確にし、それに適応したツール類の分類を行っている。図表3に一例を掲載する。
【第8章】 支援時の留意点
本ハンドブックの大きな特徴がこの章である。中小企業でのAI化/DX推進によって持続的な発展を支援する者として、次のような点について解説している。
・技術的な視点に偏らず、経営全般を俯瞰し、AI化/DX推進によって支援先企業が「強くなるストーリー」を描くこと
・経営戦略や経営課題との関連を常に念頭に置くこと
・社内にノウハウが残ることを重点に置くこと
・焦らず、経営者や推進担当者の十分な理解を待ちながら進めること
・広く助言/最新のツール情報等を得ること
・開発や実装など、必要に応じて専門業者の活用も検討すること。
【付録】 用語集
支援者の学びだけでなく、経営者や推進担当者の学習用としても使えるように考慮した。また、経営者や推進担当者との経営戦略や経営課題などの討議において、共通言語として用いることができるように、ある程度の経営関連用語も掲載している。
■4■ 期待される効果と今後の課題
本ハンドブックを利用することによって、AI導入/DX推進に踏み切れない中小企業においても、GOの経営判断をしやすくなると考える。また、AIに苦手意識を持つ中小企業診断士にとっては、具体的な支援のステップや方法を示すとともに、簡単なフレームワークやワークシートを提供することで、AI導入/DX推進の支援業務に携わる人材が増えることが期待される。
これらによって、中小企業におけるAI導入/DX推進が進展し、さまざまな経営課題の解決やビジョンの実現に寄与することができると考える。
しかしながら、まずは流れに沿った支援を体系化し、必要なワークシート類を整備することに注力して作成したため、まだまだ粗削りであり、かつ支援者の力量に頼る部分が多い。そのため、現時点ではハンドブックの趣旨やレベル感を十分理解している会員のみでの使用に限定している。
今後、実際の支援現場で本ガイドブックを利用しつつ、より一層使い勝手の向上を図り、広く中小企業診断士が利用できるレベルに整えていく。そして、ブラッシュアップができた段階で、製造業以外の業種/業務へのバリエーション化(飲食店の需要予測、農業のAI化など)をしていく。また、DX推進との関連付けを強化した内容とすることも、重要な課題である。
<参考文献>
本ガイドブック作成に当たっては、さまざまな資料を参考にしているが、紙面の都合上、当研究会と関係のある方が執筆した論文を記載する。
▼山本孝志(研究会会員) 「中小企業におけるDX推進プログラムの課題設定手法の提案」国際P2M学会 2023 ▼奥田聡氏(外部講師)「Digital Transformation Classification Types and Evolution Process for Established Companies」AHFE 2023 ▼市本秀則氏(外部講師)「マツダで実証実験したAI活用事例」人工知能学会 2022
<プロジェクトメンバー>
井上雅之、槌田博、木伏源太、西川幸宏、山戸昭三、山本克巳、山本孝志、後藤大(東京弁護士会AI部会長)、黒須靖史(PL)
以上