特集 論文:
「知的資産経営支援の手法の地方創生への応用事例」
知的資産経営研究会 井上 有弘
はじめに
知的資産経営研究会では、財務諸表には表れにくい中小企業の強みである「知的資産」を活用する「知的資産経営」について、研究・実践を行っている。加えて、中小企業向けの知的資産経営を地方創生に応用する取組みを令和3年度から継続している。具体的には、地域における「強み」である地域資源を知的資産経営支援の手法を用いて再発見、整理、明確化するほか、「地域版 知的資産経営報告書」の作成支援、地域の社会課題の解決に向けた「未来ディスカッション」の運営などである。
本稿では、中小企業向けの知的資産経営支援の手法の概要(1章)を確認したうえで、当研究会による地方創生への応用事例を紹介する(2章)。そのうえで、地方創生への応用から得られた知見を整理し(3章)、最後に課題と今後の展望(4章)を示す。
1.知的資産経営支援の手法の概要
中小企業における知的資産とは、従来のバランスシート上には記載されない無形の資産であり、企業における競争力の源泉となるもの、すなわち強みである。人材、技術、技能、知的財産、組織力、経営理念、顧客とのネットワークなど、目に見えにくい経営資源を指す。中小企業診断士による中小企業支援の過程で、企業がもつ知的資産を棚卸しし、体系的に整理することで、個々の知的資産がどこに存在するのかが明らかとなり、ステークホルダーにも把握しやすくなる。一般的には知的資産を次の3つに分類する。
1つ目は「人的資産」で、従業員が退職時に一緒に持ち出すことができる知的資産である。従業員個人に備わっており、その人にしかない技術や知識、保有資格などのことである。
2つ目は「構造資産」で、従業員が退職しても企業内に残留する知的資産である。属人的な技術やノウハウ、知識などをマニュアル化やプログラム化することで、組織的に対応できるようにしたものである。製造現場に限らず営業のノウハウや緊急時の対応、社内の規範や企業文化なども含まれる。
3つ目は「関係資産」で、会社の対外的な関係に起因する知的資産である。販売先、仕入先、外注先との取引関係のほか、業界団体、金融機関、地域との関係性などがある。
これらの知的資産は、それを保有しているだけでなく、効果的に活用することにより業績向上につなげることができる。すなわち、固有の知的資産を再発見し、共有、維持、管理、強化、改善し、組み合わせて事業に結びつけ、価値を実現していく経営が知的資産経営である。
当研究会では、知的資産経営に向けた支援を次の6つのステップとして整理している(図表1)。
図表1 知的資産経営の6つのステップとPDCA
第1ステップは、対象企業の知的資産を「知る」ステップである。当社において、知的資産がどのようになっているのかを、SWOT分析の枠組みや、診断士がファシリテーションするワークショップによって、外部の視点も交えて再認識、見える化し、棚卸ししていく。
第2ステップは、知的資産を活かした経営計画を「まとめる」ステップである。形のない知的資産の活用をマネジメントするために、知的資産の業績向上への寄与を表す指標(KPI)を明確化し、目標達成が業績の向上に連動していくように計画を立てていく。この当社の知的資産と経営計画を知的資産経営報告書としてまとめていく。
第3ステップは、当社の知的資産経営を外部ステークホルダーに「伝える」ステップである。作成した知的資産経営報告書を、積極的に外部ステークホルダーに開示していく。
第4ステップは、知的資産の活用を組み込んだ経営計画を実際に推し進めるステップである。すなわち知的資産を「活かす」ことである。経営者、管理職、担当者が、それぞれの役割において、当社の強みを伸ばし、業績の向上につながる取組みを実施していく。
なお、第4ステップと第3ステップは、並行して進めていく。第3ステップは会社外部との関係強化や新たな関係づくりであり、第4ステップは会社内部での取組みである。
第5ステップは、推し進めた知的資産経営の「ふりかえり」を行うステップである。
第6ステップは、「ふりかえり」を踏まえ、知的資産経営の取組みの「見直し」を行うステップである。
経営においてPDCAサイクルが基本的なマネジメントのあり方であるのと同様に、知的資産経営もまたPDCAサイクルを回していく必要があり、図表1のとおり対応している。
2.当研究会による地方創生への応用事例
当研究会では、こうした知的資産経営の視点や手法のうち、特に第1の「知る」ステップ、第2の「まとめる」ステップを地方創生に応用することを試みてきた。例えば、中小企業支援で用いる従業員を交えてのワークショップを対象地域の住民、事業者、移住者、行政職員などに参加してもらい実施する。また、新たな視点で発見した地域の「強み」である地域資源をもとに、通常は中小企業を主体として作成する「知的資産経営報告書」を「地域版 知的資産経営報告書」として地域の関係者と共に作成する、などである。
そして、第3の「伝える」ステップとして情報発信、共感する仲間集め、イベントの開催・周知などに、また第4の「活かす」ステップとして地域の担い手のコーディネート、地域間連携などにおいて、再発見、整理された地域資源が活用されることを期待している。
過去3回の地方創生への応用事例は次のとおりである(図表2)。なお、これらの支援はいずれも東京都中小企業診断士協会の社会貢献事業として、東京協会の支援を受けて行ったものである。
図表2 当研究会での知的資産経営支援の手法の地方創生への応用事例
(1) 長野県佐久市望月地区における応用事例
令和3年度に行った長野県佐久市望月地区を対象とした支援では、地域を対象としたワークショップを行った。ワークショップでは、住民・移住者・事業者等が4グループに分かれてSWOT分析ワークショップを行い、「よそ者」である中小企業診断士が外部視点をもつファシリテーターとして関与することで、地域資源の再発見を促すことができた。各グループの発表に対して会場から様々な意見や質問がでるなど、効果的なワークショップとなった。ワークショップの結果を整理したものが下表(図表3)である。旅行ガイドブックに載っているような観光スポット・施設だけでなく、移住者の取組み、地元の人にとっては当たり前の存在である星空やホタルなど様々な強みを再発見することができた。
図表3 ワークショップで再発見された強み
(2) 長野県上田市鹿教湯温泉における応用事例
令和4年度には、長野県上田市の古くからの湯治場である鹿教湯(かけゆ)温泉における地域活性化プロジェクトを対象に、地域版の知的資産経営報告書の作成支援を行った。地域住民など当事者には当たり前すぎて見えにくい地域ならではの強みを見い出すことができ、外部支援者である中小企業診断士の視点が有効であることが改めて確認できた(図表4)。
また、地域住民や移住者など多くの人が関わる地域プロジェクトの全体像を分かりやすく示すことができたので、今後は知的資産経営報告書の活用によって、関係者とのコミュニケーションがより円滑化し、さらに多くの支援者を巻き込み、地域活性化に寄与することを期待している。
図表4 鹿教湯温泉における知的資産とその将来像
(3) 福井県南越前町における応用事例
令和6年度は福井県南条郡南越前町を対象に手法の応用を試みた。同町の社会課題である獣害対策に取り組む移住者との出会いをきっかけに、当研究会メンバーが南越前町役場を訪問し、地域おこし協力隊OBで先進的かつ精力的に取り組むキーパーソンを紹介いただいたのがきっかけである。
本事業においても、地域の知的資産が整理され、今後の地方の担い手不足解消に向けた成長ストーリーを南越前町モデルとして明確化できた。また、経営デザインシートの枠組みを活用した「未来ディスカッション」を行い、バックキャスティング思考で「南越前町で暮らす“ええ未来”を想像しよう」とKJ法でアイディア出しを行った(図表5)。
図表5 地域の知的資産とその将来像
3.地方創生への応用から得られた知見
こうした支援のなかで、当研究会では、地域の強みである地域資源に対しても、知的資産経営支援の手法が有効であることが確認できた。それは次の3点に整理できる。①当事者も気づいていない地域資源があること、②その再発見にも知的資産経営支援の手法が有効であること、③地域の「強み」もストーリーのなかで発揮されること、である。
(1)当事者も気づいていない地域資源があること
中小企業を対象とした知的資産経営支援の現場では、社長自らも気づいていない、あるいは上手く言葉にできていない、そのためステークホルダーに伝わっていない強みが支援者によって「発見」されることがある。同様に、地域においても、その土地で暮らす住民にとっては当たり前すぎて、その魅力に気づいていない地域資源があることが多い。
ガイドブックに載るような観光スポットや施設ではなく、その地域の風土や生活に根付いた地域資源は、その由来や経緯などが説明されなければ、その魅力に気付かれないままということがある。逆にこうした地域資源は、他地域で暮らした後に地元に戻ってきた住民や移住者が理解していることが多い。地域資源をよそ者の視点で再発見し、対外的に分かりやすく「見える化」することができれば、他地域からの観光客などを惹きつける魅力となりうる。
地方創生には、よそ者・バカ者・若者が必要という言い方があるが、よそ者である中小企業診断士が関与することで、当事者には気づきにくい地域の魅力を捉え直すことができる。社長や従業員にとっては当たり前となっている中小企業の知的資産と同様に、地域の魅力も外部視点の中小企業診断士によって再発見することができるのである。
(2)地域資源の再発見にも知的資産経営支援の手法が有効であること
中小企業の知的資産経営支援においては、社長へのインタビューだけでなく、経営陣や従業員も交えたワークショップや将来の価値創造に向けたディスカッションを行うことが多い。同様に地域資源の再発見においても、外部視点を導入するだけでなく、ワークショップや地域の課題の解決に向けた「未来ディスカッション」などの手法が有効となる。地域住民等と中小企業診断士が対話をするなかで、地域資源がより明確化するのである。
中小企業向けの伴走支援においては、経営者と支援者が信頼関係のうえに対話を繰り返すことによって、経営者が納得して行動変容し(内発的動機付け)、経営課題(適応課題)に対応することができるとされる。同様に、知的資産経営支援の手法の地方創生への応用においても、支援者が現地に赴き地域を体感しながら対話を繰り返し、信頼関係を醸成することによって、真の課題とその克服に資する地域資源が明らかになることがある。
(3)地域の「強み」もストーリーのなかで発揮されること
中小企業の知的資産は、その企業の歴史や沿革にその源泉があることが多い。そして、こうした知的資産を把握、活用する「知的資産経営報告書」は、企業がもつ知的資産を「価値創造のストーリー」としてまとめるものである。
地域資源は、企業の強み以上に地域の歴史や文化に負う部分が大きい。このため、時系列のストーリーのなかで整理することで、それが生まれた背景とともに理解することができ、こうした理解を前提に地域資源の効果的な活用の方向性を検討することもできる。
また、地域外の観光客などからみれば、ストーリーのなかで地域資源を活用していくことは、観光地巡りや名産品を楽しむだけのモノ消費の観光ではなく、地域の歴史や文化を踏まえてその土地の魅力に触れる体験型のコト消費の流れにも沿うものである。
4.課題と今後の展望
以上で述べたように、地方創生に対しても知的資産経営支援の手法が有効であることが確認できた。今後は、これまでの「知る」、「まとめる」ステップ中心の応用だけでなく、「地域版 知的資産経営報告書」をさらに活用してもらうことなどが課題だと考えている。また、より具体的な関与として、地域の中小企業の支援はもちろん、行政との連携支援、観光コンテンツの造成、地域間のビジネスマッチングなどへの発展も展望している。
プロジェクトメンバー:
代表 宮崎博孝(当研究会会長)、伊藤千恵、石田充弘、井上有弘、上田正史、木内清人、斎藤慶太、重谷亮、杉本整治、長山萌音、役田泰江