【特集】中小企業診断士のための事業承継支援マニュアル開発
東京都中小企業診断士協会認定 事業承継研究会 中尾孝則
はじめに:事業承継研究会について
当事業承継研究会は平成17年(2005年)10月にスタートした。発足当時、事業承継支援の課題は、相続問題や相続税対策などの財産承継に関するものが主体で、弁護士、税理士が担っていた。これに対し、企業理念の承継、後継者育成など経営承継の分野の重要性を主張し、中小企業診断士の活躍分野であるとの認識を広めることが、研究会の主な課題であった。発足後15年を経過し、経営承継が重要な分野として認識が進み、また診断士の役割の認知が進んだ点は大きな成果と言える。
事業承継研究会は、この間に会員数が16名から一時は162名へ約10倍に拡大し、またプロジェクト活動として5つの冊子を作成するなどの成果を上げることができた。そこでは、支援の現場を重視した具体的なものを志向してきており、今後もこの考え方で、①診断士の事業承継支援への参入を後押しし、受注向上に資する、②支援活動に具体的に有効なツールを提供する、という方向で通り組んでいく予定である。
1.今回のマニュアル開発経緯
(1)テーマの選定
当研究会発足から3年を経過した平成20年(2008年)2月に「中小企業診断士のための事業承継マニュアル」を発刊した。作成後、10年以上経過しており、その間経営承継円滑化法の制定、事業承継税制の数度にわたる改訂などが行われてきた。また、M&Aなども急速に利用が広まりつつあり、さらに事業承継支援においても公的機関から、民間企業まで幅広く支援の幅が広がりつつある。こういう状況のもと、今回のマニュアルは、旧支援マニュアルの大幅改訂版として作成したものである。
(2)開発及び政策の体制
事業承継研究会にて「事業承継支援マニュアル作成プロジェクト改訂版」への参加者を募ったところ、29名の会員から応募があり、担当幹事等を含め総勢35名となった。そこで制作物の内容を章ごとに提示し、参加者の希望をもとに4つのグループに編成し、各グループリーダーを決めた。また、担当幹事は、各グループに分かれて参加した。なお、本プロジェクトの参加者は、弁護士3人、公認会計士、税理士、行政書士、不動産鑑定士、各1人を含む中小企業診断士である。
(3)制作の過程
2019年9月にキックオフミーティングを実施しプロジェクトのスタートとなった。リーダー会議を2ヶ月に1回程度開催することとして、具体的な内容検討、及びスケジュール等は各グループ内にて調整することとした。また、各グループ間の情報共有を目的としてDropboxを用いて、グループ会議のメモ、及び作成中の原稿をアップロードして、進捗状況の確認と重複部分のチェックなど各章の調整を行なった。
当初、本マニュアル作成の予定は、令和2年(2020年)3月完成、7月出版の予定であった。しかし、3月末開催予定の最終リーダー会議が直前のコロナ禍による東京都緊急事態宣言で延期せざるを得なくなり、その後7月にオンライン(Zoom)での再開に至るまで4ヶ月の遅れが生じた。それから数回のオンラインでのリーダー会議を経て12月末に最終版の完成となった。さらに、イラストなどの挿入を行い令和3年(2021年)3月発刊となった。
2.制作の目的と基本コンセプト
(1)制作の狙い
本研究会で平成20年(2008年)に発刊した最初の「中小企業診断士のための事業承継マニュアル」は、われわれ中小企業診断士の立場からの支援内容として一定の認知を獲得した。その間、当研究会から上記マニュアルに続き「事業承継塾テキスト」「事業承継ケーススタディブック」「事業承継支援ノート」といった中小企業診断士向けの冊子を発刊した。最初のマニュアル発行から10年以上が経過し、事業承継に関する環境、ニーズの変化に合わせ内容の見直しが必要となり、この間の研究成果を踏まえて本マニュアル改訂版の策定となった。
(2)基本コンセプトについて
事業承継を必要とする事業者のニーズは様々であり、10事業者あれば10通りのニーズがある。また、事業承継に関する書籍は多くあるが、各分野について網羅的に示されているものはほとんど見当たらない。例えば、自社株式(資産)の承継に関するものであるとか、相続に関するもの、M&Aに関するものなどについては、掘り下げられたものはあるが、経営改善、後継者育成など経営に関するものは少ない。さらに、M&Aにおいては、会社の価値を高めて(磨き上げ)売却するなどが必要であるが、どうやって企業価値を高めるかなどの経営的観点から掘り下げたものは少ない。
本マニュアルは第1章「経営の承継」から第5章「公的機関・制度等の活用」まで事業承継に必要な項目を網羅的に示している。必要な箇所を参照し、さらに必要であればその分野の詳しい資料にあたる、または会計士、税理士、弁護士などの専門家に繋ぐなどの活用を想定している。
3.内容の構成
本マニュアルの構成は序章以下次の内容とした。
本マニュアルの章 | 内容 | 狙い |
序章 | 事業承継の状況 | ・白書などより事業承継の現状と課題について提示 |
第1章 経営の承継 | 第1節「経営の承継」とは 第2節 現状の把握 第3節 会社の棚卸しと課題の明確化 第4節 経営の磨き上げ 第5節 後継者の選定・育成 第6節 見えない強みの承継について |
・診断士として特に注力すべき経営に関する支援内容 ・基本情報の把握、内部・外部環境分析、経営者の状況、後継者教育など ・会社(事業)のあるべき姿の提示と磨きあげ ・見えない資産の承継 |
第2章 資産の承継 | 第1節 資産に関する現状の確認 第2節 経営承継円滑化法の概要 第3節 自社株式・事業用資産の承継 第4節 債務・保証・担保の承継 第5節 個人事業主の場合 |
・資産(株式、不動産等)価値の算定、相続に関しては税理士(会計士)、弁護士などによる支援が必須であるがその前提情報を把握する |
第3章 事業承継計画・実行計画 | 第1節 事業承継計画の必要性 第2節 事業承継に向けたステップ 第3節 事業承継計画書 第4節 実行計画 |
・短期的な支援にとどまらず、中長期的な実施支援を行ううえでの実行計画策定について ・支援ノートの手法活用 |
第4章 M&A・廃業 | 第1節 M&Aの動向 第2節 M&Aの手法 第3節 M&Aのフロー 第4節 DD(Due Diligence)の概要 第5節 企業価値評価 第6節 プレM&A(売り手)とポストM&A(主に買い手) 第7節 廃業 |
・後継者不在の事業者が増加しているなかでM&Aがポピュラーになりつつある。M&Aの基本から応用までを把握でき、診断士が各支援機関などを活用して対処できる内容とした |
第5章 公的機関・制度等の活用 | 第1節 公的支援機関 第2節 公的支援制度の概要 第3節 それぞれの支援ステップにおける支援策 |
・公的支援機関が重層的に存在している中で各機関の役割を把握する |
また、各章には、理解を促進するため経験豊富な専門家によるコラムを掲載した。
本マニュアルの章 | コラム名 |
1章 | ・事業承継の最近の動向 ・経営の磨き上げに成功した例 |
2章 | ・債務超過時の先代経営者の死亡 ・株式会社と特例有限会社の違い |
3章 | ・金融行政の変化 |
4章 | ・M&Aでの法務ポイント(株券の交付を欠く株式譲渡という頻出論点) ・利益相反や誰が依頼者かには気をつけよう |
4.本マニュアルの活用事例
(1)親族内承継―小規模事業者(従事者4人)
①概要
・約3年前に、先代(78歳)から長男(46歳)へ承継した。但し、代表権は保持したまま共同代表として登記。当時の業績は厳しくリスケを実行、現在も継続中で債務超過状態は変わっていない。また、債務保証(担保)は先代のまま。株式は先代がほぼ100%保持。
・現状のままでは、リスケ中ということで新たな資金調達ができない。
・金融機関として先代の健康不安もあり後継者に権限移譲してほしい。それらを包含した事業承継計画の策定を希望。
②支援内容
・経営内容の把握。財務分析、事業別の粗利と返済計画について。これらから返済原資とその獲得の方向性。
・経営改善により借入の正常化計画立案(10年程度の返済計画)。先代の債務保証移行計画。担保物件の考え方。株式保有割合による経営権(議決権)についての理解。
③本マニュアルの具体的使用内容
・ロカベン(ローカルベンチマーク)による現状把握を行なった。後継者が経営するようになり利益率の高いサービス業務の比重を多くし利益率が大幅にアップしていること、EBITDAの負債比率を確認することにより10年以内の返済(正常化)を数値化した(マニュアル P.115)
・正常化(10年以内の返済目安)に至るまでの経営改善計画策定支援
・株式保有割合による権利内容提示(P.70)
・経営の磨き上げ(P.38〜)
・事業承継計画策定(P.116〜)
・債務・保証・担保の承継(P.91〜)
(2)親族内(甥)―中小企業(従業員8人)
①概要
・現社長(82歳)には実子2人(48歳、46歳)と非嫡出子(30歳)がいる。実子等への承継は親族内の不和から困難と考え、当面甥(60歳)に承継を考えている。但し、実子も同じ業界で仕事をしており将来的には継がせようと考えているが、非嫡出子の存在で家庭内が断絶状態となっている。
・社長の株保有割合は45%であとは兄弟、創業時の先代の知人が保有している。株を甥に持たせるのか、実子に譲渡するかなど未定。その他、相続が発生した時の遺言書など。社長の健康状態は芳しくない。
・業績は比較的好調で、資産も株以外に事業用不動産などを所有。
②支援内容
・当社の課題を分野ごとに提示する
・決算書より財務分析、株式保有割合の確認等の情報の整理
・相続が発生したときに考慮すべき内容
・株の集約と後継者の株の保有割合
③本マニュアルの具体的使用内容
・ロカベンによる財務分析を社長、後継者に提示(P.115)
・株式保有割合による経営権(P.70)
・相続における注意点(P.65)
・遺言書形式(P.74)
・株式、事業用資産の承継について(P.69)
(3)M&A―小規模事業者(従事者5人)
①概要
・社長(77歳)はM&Aで売却を検討。従業員は弟(役員72歳)、職人(45歳)、奥様。娘(32歳)が一人いるが、派遣社員をしている。いずれも後継者として相応しくないと考えている。
・株式は社長が60%、弟が35%、残り(5%)をその他親族が持っている。
・業績はここ3年売上減少で営業赤字、なおかつ債務超過。
・M&Aと企業価値を高める方策(磨き上げ)の検討をする。
②支援内容
・現状把握として決算書より財務分析、株式保有割合、販売先、仕入れ先の確認など。
・工場の現場確認。従業員、保有設備、加工部品、加工現場の状況など。その他ヒアリングにより主要顧客、新規顧客の動向。取引先等のM&A候補の確認。
③本マニュアルの具体的使用内容
・ロカベン財務状況の把握と提示(P.115)
・M&Aのステップについて(P.131〜)
・会社(事業)の磨き上げ(P.38〜)
5.普及のための活動
本マニュアルは、第1版として500部作成した。当研究会では、これまでもプロジェクト活動により冊子を作成後、外部機関等に出来あがった現物を持参し説明紹介しており、これにより各支援機関との関係を構築し、連携・支援等の良好な関係の維持を図ってきた。本マニュアルについても、同様に研究会員による紹介活動と贈呈を行っている。
(1)外部公的機関等への紹介および贈呈
①役所・公的機関
中小企業基盤整備機構、関東経済産業局、産業労働局、東京都中小企業振興公社、都内区役所数カ所
②商工団体
東京商工会議所、東京都商工会連合会、東京都中小企業団体中央会など
③金融機関
都内信用金庫、日本政策金融公庫など
④東京都中小企業診断士協会
(2)中小企業診断士への紹介
これまではスプリングフォーラム等でブース紹介し、一部有償販売を行っていたが、現在はコロナ禍のため直接紹介する機会が少ない。従って、本シンポジウムを販促の機会と捉え宣伝させていただく。ちなみに、本マニュアルの価格は本体1冊2千円で、送付はレターパックにて合計2,370円となる。
(3)研究会の新入会者向け基礎講座での紹介
当研究会では、比較的新しく入会された方を対象に事業承継基礎講座を開催し、当研究会設立以来の活動と方向、事業承継の基礎知識の提供を行っている。そういう中で、本マニュアルを参加者に紹介し普及させていく。
6.今後に向けて
(1)当研究会の目指す方向
当研究会の設立以来の目標である、中小企業診断士による事業承継支援の拡大に向けて、新規取組者のハードルを引き下げる課題に継続的に取り組んでいるが、それは、単に当研究会員にとどまらず、広く中小企業診断士全体の業務の領域拡大をめざすものである。
(2)本マニュアルの活用について
今後、中小企業診断士による事業承継支援のノウハウの蓄積を更に図る必要があるが、このような書物は少なく、特に中小企業診断士に的を絞った類似書籍はほとんどない。本マニュアルが支援のいろいろな場で使用されることにより、活用の場が拡がることが期待されるが、そのためには多くの使用事例を紹介し、事業承継支援する上で実務に役立ち有益なものであることを実証していきたい。
以上
【連絡先】事業承継研究会 事務局 中尾孝則 email:nakao0203=gmail.com
※迷惑メール防止のため、「@」を「=」に変えております。