【特集】Webマーケティングが実現するマーケットイン型ビジネスモデルへの転換支援
〜廃業を検討した繊維専門商社における潜在ニーズの発見と新たな価値提案〜

団体名:WEBマーケティング研究会
執筆者名:河村昌秀、山辺知毅
第1章 はじめに
中小企業が構造変化や供給制約に直面するなか、Webマーケティングを単なる販促ではなく、顧客の声(検索・行動データ)を可視化し意思決定を支える“経営装置”として活用する余地は大きい。本稿は、この問題意識に基づき、廃業を検討していた繊維専門商社・株式会社A社への9か月間の伴走支援を事例として取り上げる。
本稿の目的は、当研究会が実践した具体的な取り組みと、その根拠とした理論(Google検索品質評価ガイドラインにおけるE-E-A-T※1、ロングテールSEO、各種のWeb解析ツール(例えばGoogle Analytics / Googleサーチコンソール)に基づくPDCAサイクル)が、いかにしてA社の潜在ニーズ発見と新たな価値提案に繋がり、経営者の意識変革を促したかを定量・定性の両面から示すことにある。これにより、中小企業支援活動におけるWebマーケティング活用の新たな視座と、実践的な知的足場を提供することを目指す。
※1: E-E-A-Tとは、Experience(経験)、Expertise(専門性)、Authoritativeness(権威性)、Trustworthiness(信頼性)の頭文字を取ったもので、GoogleがWebサイトの品質を評価する上で重視する概念である。
第2章 取り組みの背景・経緯
A社が属する繊維卸売業の外部環境は厳しい状況にある。図表Ⅰの通り、国内市場は販売額がピーク時の約1/7にまで縮小し、回復が見込めない。またコスト面では、綿やポリエステルといった主要原材料の価格が高騰している他、2024年問題に代表される物流費の上昇も収益を圧迫している。
さらに供給面では、図表Ⅱの通り、国内の繊維工業事業所数が半減するなど製造事業者が著しく減少。取引先製造事業者の高齢化と共に、技術伝承の不足や機械の老朽化もあり廃業が増加中。結果、製品の品質不安定化や納期遅延を引き起こしており、事業継続における構造的なリスクとなっている。

図表Ⅰ 繊維品卸売業 商業販売額の推移(年度)
出典:「商業動態統計」経済産業省

図表Ⅱ 繊維工業における事業所数の推移
出典:「繊維産業の現状と2030年に向けた繊維産業の展望の概要」経済産業省
A社は長年の業歴と技術ネットワークを背景に顧客課題を解決してきたが、繊維卸売市場の縮小、仕入先の高齢化・廃業など構造的リスクが重なり、社長は資産超過の現状のまま、一時廃業を検討するに至った。図表Ⅰに示すように国内市場の販売額はピーク比で大幅に縮小しており、従来型の受動的な商流の維持だけでは持続可能性が担保しにくい環境である。
一方で同社は、無借金経営という健全な財務体質、『起毛のA社』としての業界内での知名度、そしてメルトン生地といったニッチ市場での強みという『残すべき価値』を有していた。しかし社長自身は、製造委託先の高齢化や販売先の海外生産シフトといった構造的課題から行き詰まりを感じており 、後継者の入社を機に『楽しそうに仕事したい』と願いつつも、具体的なビジョンを描けず廃業をも視野に入れていた。
第3章 事業支援を通した本事例研究の問いと目的
本事例の中心となる問いは、「Webマーケティングは、中小企業の“経営装置”となり得るか」である。
支援開始当初のSWOT分析と財務可視化により「残すべき強み」(豊富な取り扱い商材、起毛分野の専門性、加工技術を有する協力企業とのネットワーク、堅健な財務体質等)を確認した。一方社長の経営上の不安は、厳しい業界環境からA社事業の成長は望めないという漠然とした感覚に起因すると確認できた。事実A社はBtoBメインの仲卸であり、自社製品が最終的にどのように活用されているのかという「顧客の声」が届きにくい。社長ヒアリングとファイブフォース分析からも、A社事業は受動的(御用聞き営業)であり、潜在的な顧客ニーズに基づく市場開拓力が不足していると分析した。
以上をふまえ当研究会では、A社の事業継続を目的とする場合に必要な“経営装置は、「新たな価値創造と持続的成長を目的とする市場開拓」であると判断した。そのため、Webマーケティングを単なる販売促進ではなく、「顧客との新たな対話を生むプラットフォーム」と定義し、A社の強みである幅広い商材と協力工場とのネットワークを武器に、既存製品を新規顧客へ展開する事業領域拡大を提案した(図表Ⅲ、Ⅳご参照)。

図表Ⅲ 新事業・用途開拓の進め方(事業者視点)
作成:Webマーケティング研究会

図表Ⅳ A社事業支援におけるWebマーケティングの位置づけ
作成:Webマーケティング研究会
この提案の骨子は、A社の持つ専門知識や技術を発信するメディアとして活用することにある。ブログコンテンツを通じて自社製品の機能的価値や技術的背景を丁寧に解説し、Webアクセス解析を通じて「どのようなキーワードで、どのような潜在顧客が、何の情報を探しているのか」を可視化する。これにより、これまでA社が想定すらしなかった新たな顧客ニーズや製品の用途を発見し、それを次の事業展開のヒントにするという「仮説検証型のアプローチ」を目指した。このアプローチは、廃業を考えていた社長に「自社の業歴・ネットワーク・技術にはまだ可能性があるかもしれない」という一筋の光を感じさせ、大きな共感を得るに至った。
第4章 支援のフェーズと社長の意識変革
本支援は、Webサイトから得られる客観的データと対話を通じて社長の自己効力感を回復させ、事業への主体性を引き出すことを主眼に置いた。プロセスは「①希望の可視化」「②成功体験とブレークスルー」「③主体性の発揮と戦略の深化」の3フェーズで進行した。
▪️ 希望の可視化フェーズ(2024年12月~2025年3月)
支援当初、社長は事業意欲が低下していた。SWOT分析等で「残すべき強み」を客観的に可視化し、自社価値の再認識を促した。転機は、Webサイトを「未知の顧客ニーズを探るための仮説検証の場」と再定義した提案であった。この新たな可能性の提示が社長の関心を引き、情報発信基盤としてWebサイトにブログ機能の追加とGoogle Analytics及びGoogleサーチコンソールの導入を行った。
▪️ 成功体験とブレークスルーフェーズ(2025年4月~7月)
当初ブログ作成にためらいを見せていた社長に対し、E-E-A-Tの重要性を説きつつも、実践のハードルを下げるアプローチを提案した。その後実際にお客様から問い合わせがあった内容について解説を行った記事がブレークスルーとなった。2025年6月公開の「寒冷紗とは?」の記事へのアクセスが急増し、同月の総ユーザー数は前月比41.8%増の388人を記録した(図表V参照)。

図表Ⅴ 最新HPアクセス状況
作成:Webマーケティング研究会
この客観的なデータがWebサイトの可能性を社長に実感させた。さらにアクセス解析を進めると、「ラムース ペット 引っかき」「寒冷紗 農業」など、A社が想定していなかった市場からの検索流入が多数確認された(図表VI、VII参照)。

図表Ⅵ ページ別アクセス状況一覧
作成:Webマーケティング研究会

図表Ⅶ 可視化された意外なニーズの具体例
作成:Webマーケティング研究会
▪️主体性の発揮と戦略の深化フェーズ(2025年7月~8月)
Webマーケティングの成果が続く中、社長自らがWeb上のデータを探索し始めた。Instagramで「寒冷紗」が想定外の多様な用途で使われていることを発見し、事業への情熱を再燃させた。この意識変革は行動に結びつき、社長は自ら、自社取り扱い製品「ネル」 の新用途での受注実績ともなっているドリップコーヒー抽出への活用実験を行い、ブログ記事化を計画するなど、「実験→記事→反応→次の実験」という学習ループを主体的に回し始めた。これは、Webサイトが販促ツールから“経営装置”へと転換したことを示す象徴的な変化であった。
第5章 考察(事実→理論→示唆)
前章で詳述した、廃業寸前の経営者が自社の価値を再発見し、事業への情熱を取り戻したプロセスは、Webマーケティングという手法が持つ本質的な力を示している。本章では、A社の事例という「事実」を、Webマーケティングの「理論」と接続し、中小企業診断士への普遍的な「示唆」を導き出す。
核心は、Webサイトを通じて「これまで聞こえなかった顧客の声」を可視化した点にある。BtoB卸売業において、「ラムース ペット 引っかき」といった検索キーワードは、想定外の潜在市場からのシグナルであった。これらのデータが、閉塞感にあった経営者に対し「自社の技術はまだ社会に求められている」という自己効力感を回復させ、「実験→記事→反応」という自走サイクルを生んだのである。
この変革プロセスは、Googleが提唱するE-E-A-TやロングテールSEOといった理論の有効性を実証している。特に、社長自らが行った「ネルドリップコーヒーの実験」のような一次情報は、単なるSEO対策を超え、企業の「経験(Experience)」と「専門性(Expertise)」を最も雄弁に物語るコンテンツとなる。ニッチなキーワードであっても、こうした信頼性の高い情報(Trustworthiness)は着実に潜在顧客に届き、結果として「ニードルパンチ」の記事がBing検索で28.57%という高いCTR (Click Through Rate:「クリック率」や「クリックスルー率」)を記録したように、質の高いエンゲージメントへと繋がった。これは、A社の持つ無形の専門知識が、Webという“経営装置”を通じて、測定可能な市場価値へと転換された事を意味する。
さらに、検索意図の分析から生まれたBtoB(規格・証跡志向)とBtoC(用途・安心志向)の2つの異なるマーケットニーズへの対応は、単一市場の縮小リスクを回避し、事業ポートフォリオを強化する新たな道筋を示した。親記事(定義・原理)から法人向け/個人向けの派生記事へと内部リンクを設計し、それぞれのゴール{CTA(Call To Action): 「行動喚起」}へ誘導する構造は、顧客の探求段階(Know)から行動段階(Do)への移行を円滑化する、再現性の高いモデルと言える。
以上の事実と理論の接続から、中小企業診断士にとって以下の四点の示唆が導き出される。
第一に、Webサイトの目的を単なる販売促進から「新規市場の探索装置」として再定義し、経営者と共有すること。これにより、短期的な売上だけでなく、事業の持続可能性という長期的視点での支援が可能になる。
第二に、支援先に眠る一次情報(「やってみた」経験)を発掘し、その情報発信の「作法」を標準化すること。これがE-E-A-Tを運用に内蔵し、企業の信頼性を構築する最良の方法である。
第三に、検索データを基に顧客の意図を二層化(例:法人/個人)し、意図別の情報導線とゴール(CTA)を設計すること。これにより、多様な顧客接点を創出できる。
第四に、アクセス数などの「量」のKPIだけでなく、エンゲージメント率やCTA到達率といった「質」のKPIを組み合わせ、月次で経営者と「意味づけ」を行うこと。この対話こそが、経営者の認知を更新し、学習ループを定着させる鍵となる。
これらはA社特有の打ち手ではなく、中小企業支援の現場において、経営者の主体性を引き出し、マーケットイン型の事業変革を促すための普遍的な知的足場となり得るものである。
第6章 今後の課題と展望
今後は、これらのアイデアを具体的な事業計画に落とし込み、Webサイトを活用したテストマーケティングを継続していく。本事例は、Webマーケティングが単なる販促手法に留まらず、企業の事業領域を再定義し、経営者のマインドセットさえも変革する強力な経営革新ツールとなり得ることを示している。我々中小企業診断士は、経営者に寄り添い、データという新たな「顧客の声」を事業の未来へと繋ぐ伴走者として、引き続き支援を行っていく所存である。
1. A社の今後の課題:
Webサイトへのアクセスは大幅に増加したものの、これを事業成果に完全に結びつけるには、以下の課題に取り組む必要がある。
(1) コンバージョン率の向上:アクセス増が、問い合わせや受注件数の増加に十分結びついていない。CTA(行動喚起)の最適化や、より具体的なソリューション提案記事の拡充が求められる。
(2) エンゲージメントの質の維持:ユーザー層の拡大に伴い、平均エンゲージメント時間が低下傾向にある。新規顧客にも専門的な内容を分かりやすく伝え、深く読んでもらうための工夫が必要である。
(3) 供給体制の維持・強化:Webマーケティングによって新たな需要を創出できても、業界構造的な供給リスク(仕入先の高齢化等)は依然として存在する。新規需要に応えるための供給ネットワークの再構築が長期的な課題となる。
2. Webマーケティング研究会としての今後の展開:
当研究会は、本事例で得られた示唆を他の中小企業支援にも活用できるよう、以下の取り組みを通じて標準化・横展開を図る。
✓プレイブック化:Webサイトの再定義から、一次情報の作法、親子構造の記事設計、意図別のCTA設計、KPI管理までの一連のプロセスをテンプレート化し、支援の再現性を高める。
✓ダッシュボードの共通化:各種のWeb解析ツールの主要指標を定点観測できる共通ダッシュボードを開発し、データに基づいた迅速な意思決定サイクルを支援する。
✓ケースバンクの構築:支援事例(記事種別、クエリ意図、成果の対応等)を匿名で蓄積・共有し、会員診断士が成功パターンを学べる共同の知見データベースを構築する。
✓伴走支援の型化:月次レビューで経営者の「意味づけ」を促し、認知の更新までを支援するプロセスを標準化し、診断士の実装力を底上げする。
✓コンプライアンスの徹底: Webコンテンツ作成における著作権法への配慮など、関連法規を遵守した情報発信を支援プロセスに組み込み、企業の社会的信頼性を担保する。