事業承継支援が拓く中小企業診断士の未来―制度と現場のあいだで―

I 中小企業診断士とは何者か~制度と現場のあいだに立つ専門家
中小企業診断士とは何者であるのか。この問いに、多くの人は「経営コンサルタントの国家資格」と答えるであろう。間違ってはいない。しかし、それだけでこの資格の本質を説明したことにはならない。
公認会計士には法定監査、弁護士には訴訟代理権、税理士には税務申告という独占業務がある。これに対して中小企業診断士には、法に守られた独占業務が存在しない。それにもかかわらず、この資格はなぜ半世紀以上も存続してきたのか。
私は、その理由を「経営という全体を見る専門家」であることに求めたい。
企業活動は複雑である。ヒト、モノ、カネ、情報が複雑に結びついて動き、営業や財務だけを見ても全体はわからない。その全体像を理解し、課題を発見し、改善の方向を示す。それが中小企業診断士の本来の役割である。私は、その役割に魅力を感じてこの資格を取得した。
中小企業の経営者は孤独である。従業員にも家族にも金融機関にも明かせない悩みを抱えている。その隣に立ち、課題を整理し、進むべき方向をともに考える。経営者が秘めた可能性を引き出したい。私が思い描いていたのは、そのような仕事であり、その思いは、いまも変わらない。
しかし、中小企業診断士として活動を始めて間もなく、私は一つの現実に直面した。中小企業支援の世界では、経営そのものを支援する仕事よりも、制度を利用するための支援のほうがはるかに多かったのである。窓口相談、専門家派遣、補助金申請支援、事業計画書作成。いずれも、中小企業政策を現場に届けるために欠かせない仕事である。
しかし私は、次第に違和感を覚えた。経営者が本当に求めているものはなにか。中小企業診断士が本当に提供すべき価値とはなにか。補助金制度を説明することか。申請書類を作成することか。それとも、もっと別のところにあるのか。
ここで、私自身の来歴を述べておきたい。私はもともと経営学を学び、とりわけ制度と現実の乖離という主題に惹かれてきた。制度はいかに精緻に設計されても、それが現場でどう運用され、人々の行動をどう変えるかは、全く別の問題である。この視座は、後に中小企業支援の現場を見つめ直すうえで、決定的な意味を持つことになった。
この疑問が、やがて私を事業承継支援の現場へと導き、私は資格の本来の価値を、改めて問い直すことになる。
II 補助金支援の時代~制度支援と経営支援の距離
補助金申請支援は、多くの中小企業診断士が最初に経験を積む分野である。私自身も例外ではなかった。しかし、仕事を重ねるにつれて、一つの疑問が生じた。補助金は、本当に中小企業を成長させているのだろうか。
もちろん、補助金には意義がある。資金繰りに余裕を与え、設備投資や販路開拓の機会を生む。しかし私は、現場を見るうちに別の印象を抱いた。補助金で企業が劇的に変わった事例よりも、受けてもなにも変わらなかった事例のほうが、はるかに多く目についたのである。
この素朴な実感は、私一人の印象にとどまらない。同じことが、政府系の研究機関による厳密な実証研究によって、すでに学術的に示されていたのである。経済産業研究所(RIETI)は、経済産業省の要請を受け、EBPM(証拠に基づく政策立案)の一環として、中小企業庁の「ものづくり補助金」の効果を分析し、一連の研究論文として公表している。
補助金の採択は、評価点が採択点を上回るか否かで決まる。この不連続性を利用し、採択点を僅かに上回った企業と下回った企業を比較する回帰不連続デザイン(RDD)という因果推論の手法が用いられた。ところが結果は芳しくなかった。売上高でも一人当たり売上高でも、採択企業と非採択企業のあいだに有意な差は確認されなかった。
差分の差分法(DID)を用いた研究でも、生産性を示す付加価値額に有意な差はなく、設備投資で雇用は増えても労働生産性は高まらなかった。「小規模事業者持続化補助金」の研究も同様で、受給したこと自体に売上高や生産性を高める効果は確認されなかった。
我が国を代表する補助金が、生産性向上という当初の目的に照らして明確な効果を示せていない――この事実は、印象論や政治的主張としてではなく、厳密な因果推論に基づく研究論文として、すでに公にされているのである。
巨額の公的資金が投じられながら、生産性向上に明確な効果が認められないのなら、我々支援者は、補助金を獲得させること自体を成果とみなす発想を問い直さなければならない。採択を勝ち取った瞬間に支援が終わるのであれば、それは経営の伴走者ではなく、制度の代理人にすぎない。
ただし、これらの研究には興味深い続きがある。「小規模事業者持続化補助金」の研究では、受給したかどうかではなく、補助金に申請した企業そのものが成長していた。申請企業は、非申請企業に比べ、売上高や労働生産性の改善を示し、その効果は創業から数年の若い企業でとりわけ顕著であった。
ここには重要な示唆がある。中小企業を変えるのは資金ではない。経営者が自社を見つめ直し、課題を整理し、将来を構想する過程である。補助金申請のための事業計画書は形式的だと批判される。しかし価値は書類にあるのではない。自社の強みはなにか、利益はどこから生まれるのか、5年後どうありたいのか。こうした問いに向き合い、外部支援者と対話するとき、経営者は初めて自社を客観視する。重要なのは採択率ではない。経営者がどれだけ真剣に自社と向き合ったかである。
ところが現実には、多くの補助金支援が「採択される申請書を書く技術」へと傾斜している。どんな表現で加点され、どんなキーワードが審査員に響くか。そうした議論のたびに、私はある種の空虚さを覚えた。それは経営支援ではなく、制度対応だからである。制度対応は必要だが、それだけでは企業は変わらない。むしろ熟達するほど、見るべき経営の現場から遠ざかる危険すらある。
この傾向は、生成AIの登場でさらに加速している。いまや生成AIは、事業計画書の作成において、すでに多くの中小企業診断士を上回りつつある。市場分析も財務予測もでき、公募要領に適合した文章も書ける。役割が書類作成だけならば、その仕事は急速に代替されていくであろう。
だが、経営者の迷いを聞き取り、事業の実態を理解し、本人も気付いていない課題を発見する仕事は、依然として人間にしかできない。私は次第に、そのような仕事を求めるようになり、その答えを事業承継支援の現場で見いだすことになる。
III 事業承継という現場~承継されるのは株式ではなく経営
私が事業承継支援に魅力を感じたのは、それが補助金支援とは異なる性質の仕事だったからである。
補助金支援には期限がある。公募、申請、採択、実績報告。経営者との対話はもちろんあるが、支援の中心はあくまで制度であり、期限内に手続きを終えることにある。
これに対して、事業承継支援には終わりがない。経営者が引退を決意した瞬間に始まり、後継者が独り立ちするまで続く。ときに3年、ときに5年を要する。定められた手続きよりも、継続的な人間関係のほうがはるかに重要になる。
私は長年この現場に携わってきたが、事業承継を税務や法務の問題として理解するには限界があると確信している。税務や株式評価、相続対策も重要だが、それらは事業承継の一部分に過ぎない。事業承継の本質は、経営資源の承継にあるからだ。
事業とは、必ずしも法人格を持つものではない。株式だけでもなければ、工場や機械だけでもない。そこには、長年培われた顧客との信頼関係、熟練従業員の技術、取引先との暗黙の了解、地域社会で築かれた信用がある。経営者自身も意識していない企業文化がある。こうした目に見えない資産こそが、企業の競争力を支えている。それらは契約書一枚で承継できるものではない。後継者は、それらを理解し、自らのものとして体得しなければならない。ここに、事業承継の難しさがある。
私は多くの後継者を見てきた。優秀な人ほど苦しむ。財務分析は理解でき、事業計画も作成できる。しかし、「自分は本当にこの会社を引き継ぐべきか」という問いに直面したとき、人は数字だけでは答えを出せない。市場は成長しているか。自社の強みはなにか。将来も利益を生み出せるか。後継者自身による事業性評価も重要になる。だが、それ以上に重要な問いがある。自分は、この会社を背負う覚悟があるのか――この問いに答えられなければ、どれほど立派な事業計画も意味がない。
引退する経営者もまた、葛藤を抱えている。多くの経営者にとって、会社は人生そのものである。40年、50年と捧げて築いた事業を手放すことは、自らの人生の一部を失うに等しい。だから経営者は引退を先送りする。後継者の未熟さや景気の悪さを理由にするが、本当のところは、手放す覚悟ができていないのである。
事業承継支援とは、この二人の人間のあいだに立つ仕事である。経営者の未練を理解し、後継者の不安に寄り添う。税務、法務、財務だけではなく、人生そのものに関与する。だから難しい。しかし、それゆえに面白い。
私は中小企業診断士になった当初、経営支援とは戦略立案や経営分析だと思っていた。しかし事業承継の現場で学んだのは、経営とは人間を理解することだという事実であった。事業を承継するとは、モノやカネを承継することではない。ヒトを承継することなのである。
IV 現場主義という思想~経営は会議室ではなく現場に存在する
事業承継支援に携わるなかで、私は中小企業診断士という職業を改めて考えるようになった。
中小企業診断士どうしで議論していると、事業戦略、ブランディング、マーケティングといった言葉をよく耳にする。もちろん重要であり、企業は環境変化に適応しなければ生き残れない。しかし私は、そうした議論にどこか浮遊感を覚える。
なぜなら、中小企業の経営課題の多くは、もっと地上にあるからである。利益率が低い、在庫が過大である、業務が属人化している、資金繰りが不安定である。こうした問題は、教科書を読むだけでは解決しない。現場へ行かなければ、見えないのである。
私は東京都中小企業診断士協会で、多くの先輩から学ぶ機会に恵まれた。尊敬する先輩方ほど、現場の話しかしない。元会長のK先生は、まず業務フローチャートを書かせ、どこに業務効率化の余地があるか把握しろと言う。元会長のM先生は、棚卸資産の重要性を説き、在庫を正しく評価せよと言って現場へ向かう。華やかな戦略論は語らない。しかし私は、その姿勢にこそ経営の本質があると思う。
ここで、私自身の学問的な関心に立ち返りたい。大学で学んだ公共政策学に、政策実施論(implementation studies)と呼ばれる分野があった。立派な政策が、なぜ現場で意図どおりに機能しないのか――それを扱う学問である。古典の一つに、行政学者マイケル・リプスキーの議論がある(M・リプスキー『行政サービスのディレンマ――ストリート・レベルの官僚制』田尾雅夫訳、木鐸社)。彼は、警察官やソーシャルワーカー、教師のように、現場で市民と向き合う第一線の職員を「ストリート・レベルの官僚」と呼んだ。彼らは制度の文言を機械的に執行するのではなく、状況に応じて、いつ何をどれだけ行うかを自らの裁量で判断する。その積み重ねこそが、政策の実際の姿を形づくる。政策は机上で完成するのではない。現場で運用される瞬間に、はじめて現実となるのである。
制度は抽象的だが、現場には例外があり、感情があり、利害があり、組織の歴史がある。条文だけを眺めていても、社会の実態は理解できない。
私には、中小企業診断士がこの「ストリート・レベルの官僚」と重なって見える。我々は、中小企業政策を経営の現場へ届ける最前線の担い手である。窓口で、工場で、経営者の応接室で、抽象的な政策がはじめて具体的な支援へと翻訳される。その質を決めるのは、現場の中小企業診断士がどれだけ深く企業の実態を理解しているかである。
企業経営も、まったく同じ構造を持つ。財務諸表だけでは、会社は見えない。事業計画書だけでも見えない。工場の床に落ちた油の染み、倉庫の奥に積み上がった滞留在庫、机に置かれた古い取引先の名刺。そうした細部にこそ、事業の現実が潜んでいる。事業承継支援もまた、同じである。
私は事業承継の相談を受けるたびに、できるだけ現場を見る。後継者、古参社員、ときには経営者の配偶者の話を聞く。そこで語られるのは、事業戦略よりもはるかに切実な問題である。社長は引退後、なにを生きがいにするのか。後継者は本当に継ぎたいのか。従業員は新しい経営者を受け入れるのか。事業承継の成否を決めるのは、こうした人間の問題なのである。
中小企業診断士という資格の価値も、ここにあると私は考えている。書類を作ることでも、制度を説明することでもない。現場に入り込み、人間を理解し、経営の実態を把握すること。その地味で泥臭い営みこそが、中小企業診断士という職業の存在理由なのである。
V 事業承継支援はどこから始まるか~信頼は一枚の申請書から生まれる
事業承継支援に関心を持つ中小企業診断士は少なくない。しかし一方で、「事業承継の仕事がない」という声もよく聞く。
その考え方には、一つの誤解がある。事業承継支援は、最初から事業承継支援として始まるものではない。初対面の中小企業診断士に、「会社を誰に継がせるべきか」、「息子に任せるべきか」と相談する経営者はいない。当然である。事業承継は、経営者の人生で最も重要な意思決定の一つであり、家族の問題であり、引退後の生き方に関わる問題である。そのような話を、信頼関係のない相手に語る人はいない。
だから事業承継支援は、もっと小さな仕事から始まる。窓口相談、専門家派遣、補助金申請支援、あるいは資金繰りや販路開拓の相談かもしれない。そこで中小企業診断士が誠実に仕事を行う。約束を守り、連絡を怠らず、経営者の話を真剣に聞く。その積み重ねによって、少しずつ信頼が形成されていく。
そしてある日、経営者がふと本音を漏らす。「実は、後を継ぐ者がいない」、「息子が継ぐと言っているが、不安だ」、「そろそろ引退を考えている」。事業承継支援は、その瞬間から始まる。
ここにも、補助金研究の教訓が重なる。最初の小さな仕事もまた、それ自体が目的なのではない。経営者との信頼関係構築という、目に見えない知的資産を積み上げる過程である。その蓄積があってはじめて、事業承継という最も重い相談の扉が開かれる。
公的支援の現場には、想像以上に多くの事業承継問題が潜んでいる。経営者自身が問題に気づいていない、あるいは気づいても相談できずにいる場合も多い。事業承継の市場は、決して小さくない。
問題は、案件の数ではない。支援できる人材の数である。事業承継支援には、税務、法務、財務、M&A、組織論など幅広い知識に加え、それらを統合して経営者と対話する力が求められる。容易ではないが、その難しさこそが専門性の源泉でもある。これほど中小企業診断士の本来の職能を発揮できる分野を、私は他に知らない。
VI 中小企業診断士よ、現場へ降りよ~制度から経営へ、書類から人間へ
本稿では、中小企業診断士という資格の職能について考えてきた。私が当初抱いていた理想と実務とのあいだには、少なからぬ隔たりがあった。補助金申請支援や事業計画書作成は重要だが、それだけでは経営の本質に触れることはできない。
実証研究が示したのも、このことであった。補助金そのものに明確な効果はなく、価値を生んでいたのは、経営者が自社と向き合う過程であった。つまり、中小企業を動かすのは制度ではない。人間なのである。
事業承継の成否を決めるのも、株価算定でも契約書でも補助金でもない。引退を決断する経営者、責任を引き受ける後継者、変化を受け入れる従業員――その意思と覚悟が、中小企業の未来を決める。だから事業承継支援は難しく、これほど中小企業診断士の存在意義を実感できる仕事もない。
中小企業診断士には独占業務がない。だからこそ、制度に依存せず、自らの価値を証明し続けなければならない。生成AIは多くの書類作成の仕事をこなす。しかし、老いた経営者の沈黙の意味を理解することはできない。後継者の迷いを感じ取ることも、工場に立ち、従業員の表情から組織の空気を読むこともできない。そこにこそ、人間にしか担えない役割が残されている。
中小企業政策もまた、現場に立つ中小企業診断士を通じてはじめて、生きた支援へと姿を変える。我々は、制度と経営のあいだに立つ、最後の翻訳者なのである。
私は、多くの中小企業診断士が事業承継支援に挑戦することを願っている。それは単に新たな仕事を得るためではない。中小企業診断士という資格が、本来持っていたはずの価値を取り戻すためである。
企業は、書類によって動くのではない。人によって動く。事業承継とは、その人間の営みを次の世代へと受け渡す仕事にほかならない。
中小企業診断士よ、現場へ降りよ。会社案内のホームページの行間ではなく、工場の床に残る油の染みを見よ。決算書の数字だけではなく、従業員の声を聞け。経営者の言葉だけではなく、その沈黙にも耳を傾けよ。そこにこそ、中小企業診断士という職業の未来がある。
ぜひ事業承継支援コンサルティング研究会に来てほしい。ともに学ぼうではないか。
以上
著者紹介
岸田 康雄 (きしだ やすお)
公認会計士、税理士、一級ファイナンシャル・プランニング技能士、宅地建物取引士、国際公認投資アナリスト(日本証券アナリスト協会検定会員)、中小企業診断士、行政書士。一橋大学大学院商学研究科修了。平成28年度経済産業省中小企業庁「事業承継ガイドライン小委員会」委員、令和2年度日本公認会計士協会中小企業施策調査会「中小企業施策研究調査会/事業承継支援専門部会」委員。現在、東京都中小企業診断士協会認定「事業承継支援コンサルティング研究会」代表幹事。