「営業×行動経済学」で顧客を動かす!
~営業現場を変革する成約プロセス支援ツールの開発~

東京協会 営業力を科学する売上UP研究会 花村 大祐
1. 本ツールの概要
(1)営業×行動経済学=成約プロセス支援ツールとは
営業の現場で使われている主なツールは、せいぜい営業プロセスの分解までである。本ツールは顧客との関係性をつくり、成約に至るまでの心理誘導をレシピ化したものである。「顧客にとって欲しい行動」を列挙し、その行動をとってもらうために、営業担当がどのような行動を取ることが望ましいか、トークスクリプトとして具体化している。顧客に対する問いかけ、働きかけの中で、行動経済学の心理的要素を活用し、売る側と買う側という単純な対立関係に変化をもたらし、共に顧客の課題を解決していく「同志」という立場になることを目指す。それにより、こちらが期待する行動に導く可能性を高めて、階段=プロセスを一歩一歩登ってもらい、成約に結びつけるツールである。
(2)行動経済学とは
経済学と心理学を組み合わせた学問分野で、人間の意思決定における非合理的な行動や心理的バイアスが、経済活動にどのように影響を与えるかを分析するものである。人間の価値観は複雑で多様化していると言われるが、生物である以上、ある刺激に対して同じ反応を示すものである。人間は誰でも、集団に交わりたい、リスクを回避したい、一貫した行動をとって信頼されたいなどの欲求があり、それを得ようとする行動をとる。たとえ、その行動が合理性を欠いている場合でも同様である。これら心理と行動の関係を、実験により証明し体系化したのが、行動経済学である。例えば以下のようなエコノミスト誌の購読について、①と②の場合があったとする。
| エコノミスト誌の選択 | |
| ①3つの選択の場合 ・ウエブ版59ドル ・印刷版125ドル ・ウエブ版と印刷版両方で125ドル |
②2つの選択の場合 ・ウエブ版59ドル ・ウエブ版と印刷版両方で125ドル |
①の場合は、「ウエブ版と印刷版両方」が選ばれ、②の場合は「ウエブ版」が選ばれることがわかっている。これは、人間は絶対的な価値を見出すことはできず、相対性(比較)で判断する傾向があることを示している。(『予想通りに不合理』ダン・アリエリー 早川書房)。
行動経済学の中では、ナッジ理論(選択肢を工夫したり環境を整えたりすることで、強制する事なく人々が望ましい行動をとれるようにする)が有名であり、提唱したリチャード・セイラー教授は、2017年にノーベル経済学賞を受賞した。
2.ツールの狙いと前提条件
(1)ツールの狙い
中小企業は大企業に比べ、会社も商品も認知度が低く、組織も小規模なことから、信頼性が劣るため営業活動に苦労している。もし行動経済学を活用して、質問やヒアリング、提案や資料の提示の場面で、顧客に安心してもらったり、信頼を高めたり、商品を価格以外でも対比してもらったりできれば、大企業と対等まではいかなくても、良い勝負ができるようになる。「営業×行動経済学=成約プロセス」のツールは、営業担当者が顧客との接点の場面で安心感を与え、必要な情報を得やすくし、他社と比較してもらい商品の優位性を理解してもらうことを後押しするために開発した。さらに、顧客の課題に対して、共に悩み解決策を見出していく「同志」として認識されて、長期的な関係性をつくることを狙いとしている。このツールを使って、営業担当ごとのスキルや経験のバラつきを排除して、誰もが一定の成果をあげられるようにし、再現性を担保できるようにするのである。
(2)前提条件の整備
本ツールを開発するにあたり以下の前提条件を設けた。
①営業担当者が顧客に向ける行動をツール化すること
管理者が、営業担当を対象として、モチベーションを高めたり、行動量を管理したりするためのツールではない。顧客を対象として、期待する行動を促すための営業担当の営業行動をサポートするツールであること。
②本来行うべき営業行動を補完するものであること
本質の営業活動は、商品の優位性を活用して、顧客のメリットにつなげ、顧客の困りごとを解決するものである。行動経済学は、本質を補完するテクニック的なものとして位置付ける。よって本ツールは、テクニック論に走ってはならない。
③相手を騙したり、悪意に操作したりするものではないこと
行動経済学は、人を騙して商品を売りつける、特殊詐欺の手法としても用いられている。本ツールは営業展開をやりやすくするものであるが、顧客との長期的な関係性を大前提とし、一時的に売上を高めるような目的で使用するものではない。課題に向けて一緒に取り組む同志という立場を目指すものである。
④営業の実戦で活用できるものとすること
行動経済学は学術的な研究がなされており、アカデミックな理論であるが、本ツールは机上の理論から脱皮し、営業担当が現場で実際に使えるものを目指すこと。
3.本ツールの全体像
(1)ツールの縦軸
ツールの縦軸は、アポ獲得から、成約し、顧客から新規顧客の紹介を受けるまで、「顧客にとって欲しい行動」が25プロセス設定されている。
一つひとつプロセスを経ていくと、成約につながり、最後は他社を紹介までしてもらえるというものである。
(2)ツールの横軸
ツールの横軸は、顧客を各プロセスの「顧客にとって欲しい行動」に導くにあたり、想定・実施すべき「相手の抵抗する心理」、「断りトーク例」、「当社の取るべき行動の要点(本筋)」、「左記を補完する行動経済学」、「具体的な使い方、話し方例」、「その時にあったら良いツール」等をまとめている。ツールを参考に行動経済学を加味したアプローチを取ることにより、お客さまに行動を促す働きかけを行うのである。
4.本ツールの具体的な活用方法
(1)顧客が「困りごとを話す」という場面の解説
プロセス5「当社の提案を受けて、自社の困りごとを話す、課題を話す」という行動を、顧客にとってもらう場面を想定してみる。
①相手の抵抗する心理 ②断りトーク例
「一つ言えばどんどん営業を進められそう」「知らせて何のメリットがあるのか」と抵抗する心理が生まれている。主導権を握られることを恐れ、上手に断りたいという気持ちである。よって、「何かあればこちらからお声がけしますが、現状は特段お願いしたいことはございません。」など、体よく断りトークが営業担当に向けられる。
③当社の取るべき行動の要点(本筋)
このような場面では、営業担当者は、「業界共通の課題から、貴社も同じかを聞く」「現状に満足はないはず。不満な点、足りない点を聞く」などの行動をとることが求められる。これが営業担当の本筋的な行動である。
④左記を補完する行動経済学 ⑤具体的な使い方、話し方例
本筋的な行動を補完するために、行動経済学を活用した例の抜粋が以下である。
社会的証明:多数の意見や行動を参考に自分の行動を決定する心理傾向。他の会社ではこうですよ」と一般論を提示することで、相手が自社の状況を話しやすくなる心理。
返報性:親切にされたり、プレゼントをもらったりするとお返しをしたいと感じる。相手が譲歩してくれたとき、自分も譲歩したい気持ちになる心理。
一貫性:過去の言動や態度と矛盾しないように行動しようとする心理的な傾向。小さなYESを積み重ねると、その後の要求を受け入れやすくなる心理。
フレーミング:情報の提示や、質問の枠(抽象度、時間軸など)を変えることによって、人々の判断や意思決定が変化する心理。
⑥その時にあったら良いツール
③~⑤の内容を円滑に進める上で
作っておきたいツールは以下である。
・仮説の提案書
・課題ヒアリングシート
・事例集
・主な経営課題ベストテン
(2)顧客が「キーマンや影響力のある関与者を話す」という場面の解説
プロセス7の「キーマンや影響力のある関与者を教える」という行動を、顧客にとってもらう場面を想定してみる。
①相手の抵抗する心理 ②断りトーク例
キーマンや関与者を質問する場合、顧客に生まれる心理として、「何でキーマンを知らせなければならないんだ」「簡単に言ったら、上司に怒られる」「知らせて何のメリットがあるのか」「決裁者面談を調整するのは手間なので、決裁ルートを教えたくない」という抵抗感が生まれる。よって、「まずは私が窓口としてお話を伺います」「社内的なことをお伝えするメリットを感じられません」「今のお取引先で満足しているため、お伝えする必要性を感じておりません」という断り文句が発せられる。
③当社の取るべき行動の要点(本筋)
このような場面では、営業担当者は、「キーマンや、関連部署がわかれば、それぞれのメリットも明確に説明できることを話す」「その人の意見も聞いた方がメリットがあることを話す」という行動が求められる。
④左記を補完する行動経済学 ⑤具体的な使い方、話し方例
本筋的な行動を補完するために、行動経済学を活用した例の抜粋が以下である。
社会的証明:「多くの企業では」という投げかけにより抵抗感を低くし、答えやすくする。
フレーミング:「あなたのために」聞いているというスタンスを示すことで、答えるメリットを感じてもらう。
一貫性:顧客に答えてもらい、その答えと一貫した行動をとりやすいことを活用し、行動を促す。
権威: 権威のある人物や情報源からの指示や意見に従いやすいという心理的な傾向を利用し、当社の上席が来るので、あわせて顧客の上席も立ち会ってもらうことを促す。
⑥その時にあったら良いツール
・顧客の各部門のニーズや悩みを整理した一覧
どんな部署/立場の人は、どんな意見/要望(ポジティブ/ネガティブ共に)を言われることが多いか、という一枚モノ、部門別メリット早見表
・組織図(取れない場合は、フロア図、内線番号表)
顧客の組織を把握して、意思決定者となりそうな部署や責任者、味方につけておきたい部署などを想定することができる。
5.支援ツールの効果(自動車部品の受託加工A社の事例)
(1)A社の営業上の課題
A社は特定の顧客に売上を依存しており、新規顧客開拓が課題であった。営業担当者にヒアリングしたところ、「新規顧客候補からはQCDで比較され、特に価格面で折り合いがつかず、取引に至らない」という課題が浮かび上がった。
A社が自動車部品製造業X社への営業活動を開始する際に、従来のQCDを中心とした会社紹介から脱却し、行動経済学の理論に基づいた以下のアプローチを実行した。
(2)本ツールの活用場面
①情報収集段階:評価基準の再設定(アンカリング効果)
初回訪問において営業担当者は意図的に価格に関する議題を避け、A社の強みである「多品種少量生産」などを議題として設定した。これは「アンカリング効果」を応用し、顧客の評価基準の基点を「価格」から、A社の優位性が発揮される多品種少量生産などへとシフトさせることを目的とした。これにより、X社が抱える価格以外のニーズを引き出すことに成功した。具体的には、X社は「顧客から多品種の注文が同時期に入ることが多く、対応できる加工先が見つからず困っている」という課題を抱えていることが判明した。
②PR段階:小さな合意の形成(一貫性の法則)
A社はX社との商談の都度、前回の議事録を提示しながら「貴社には多品種対応という課題がありますね」と確認し、認識の共有を図ってもらった。これにより、顧客が元の価格重視の姿勢に戻ることを防ぎ、商談を次の具体的なステップへ確実に進めることができた。顧客の認識を、具体的で小さな「合意(コミットメント)」にするため、「一貫性の法則」を活用した内容である。
(3)本ツールの成果
最終的にA社はX社と2製品の供給契約を締結した。本契約による売上は、金型製作費などで350万円、製品本体で年間50万円となる見込みとのことだった。
後日、A社の担当者がX社の担当者にヒアリングしたところ、「多品種少量に対応できる仕入れ先は貴重です。価格も当然考慮しますが、それ以上に、この課題は当社の中長期的な経営課題でした。A社と取引できて本当に良かった。」という言葉があり、価格以外の価値基準で選定されたことが明らかになった。
6.今後の展開
(1)業種ごとの特性への対応
製造・小売業・卸売業・サービス業・情報通信事業など、業種別のテンプレートを準備することを検討している。また、各場面で必要なツールも具体化して、サンプルとフォーマットを作成していく予定である。
(2)導入・運用の容易さへの対応
〈営業現場キット〉としてロールプレイングでの展開により、実用性と簡便性を実現していく。具体的には、当研究会で実施している「トライアングル・ロープレ」に落とし込んでいく予定である。中小企業においては導入の容易さを求めており、1.5時間程度のロープレ研修で、運用開始ができることを目指していく。また、最終形として、AI相手のロープレが実施できるようにしたいと考えている。
7.課題
本ツールは、行動経済学の理論に基づき、中小企業の営業担当者が現場で活用できるよう体系化し、実践的な内容とした。その一方で、背景にある学術的な理論や多岐にわたるアプローチは、日々の業務に追われる現場担当者にとって、やや難解に感じられる可能性も想定される。
したがって、本ツールを中小企業へ導入し、真の成果へと繋げるためには、我々のような支援者が単に情報を提供するだけでなく、現場への「普及」と「定着」に向けた一工夫を凝らすことが不可欠である。前述のように、ツールの本質を分かりやすく解説する研修の実施や、実際の商談を想定したロールプレイングを取り入れるなど、担当者一人ひとりが「自分ごと」として捉え、実践の中で腹落ちさせるための伴走支援が求められる。
本ツールが「絵に描いた餅」で終わることなく、企業の持続的な営業力強化という果実をもたらすことができるか否かは、まさしく支援者である中小企業診断士の腕の見せ所であり、今後の重要な課題である。